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都市紹介
旗

イルクーツク

IRKUTSK

人口
59万人(2001.1月末現在)
市外局番
3952
時差
±0時間
気温
月間平均気温
1月 2月 3月 4月 5月 6月
-19.1 -16.7 -7.5 +1.4 +9.3 +15.1
7月 8月 9月 10月 11月 12月
+17.5 +15 +8.6 +0.9 -8.5 -16.1

概要

観光情報 ルクーツはバイカル湖南端に位置し、アンガラ川とイルクート川の合流点にあり、イルクーツク州の州都でもあります。 市街地はアンガラ川、イルクート川、ウシャコフカ川によって4つに分かれています。
イルクーツク市は、「イルクートの町」という意味であり、1652年にコサックの探検隊によって要塞が建設された後、中国、モンゴルに向かうロシアの対象の中継地点の役割を負い、シベリアの奥地、また極東地区の探検の拠点としての機能を果たしていました。
1686年に市制が敷かれてからは、豊富な天然資源を有するシベリアの開発の中心部として発展しました。
18世紀のデカブリストと呼ばれる青年将校の流刑地となり、彼らが当時の首都であったサンクト・ペテルブルグから持ち込んだ文化、芸術は、イルクーツクに多大なる影響を与えました。 サンクト・ペテルブルグを模した華やかの石造の建物や、最先端の技術、芸術などがイルクーツクに根を下ろしました。
また、教育施設も充実したものとなり、日本人漂流民が教鞭をとる日本語学校も18世紀半ばに造られました。 現在のイルクーツクにも当時の町並み、歴史的な建造物が多く残り、ロシア伝統の木彫りの窓枠で飾られた木造の建物も多く残っており、美しい景観を残しています。
今日のイルクーツクは、鉱物資源の開発が進む北シベリア、発展が著しい中国やモンゴル、そして日本との関係がますます緊密となっている極東ロシアを、モスクワ、さらにヨーロッパと結ぶ交通の要衝となっています。現在イルクーツク市は67万人の人口を抱える都市へと発展し、機械製作、製材、家具、食品、建設など70種の主要産業が発達しているシベリア最大の工業都市へと成長を遂げています。

そのうち、最も大きな割合を占める産業は、火力・水力発電、自動車産業、冶金産業、航空産業、木材産業、建築資材産業です。 また、世界的に有名な毛皮産業は、黒テンの毛皮などを世界市場に供給しています。 イルクーツクは、東シベリアで最初に創立されたイルクーツク国立大学をはじめ、科学アカデミー・シベリア支部第2科学センター、バイカル湖沼学研究所などを有する一大学術都市であり、学生が占める割合は10パーセントに上ります。
また、市民の文化・芸術活動も盛んで、劇場、映画館、図書館等の施設も充実しています。
イルクーツクには19世紀に建造された木造建築の住居、教会等の建造物が多く現存しており、1997年には世界遺産保護基金のリストに加えられ、「シベリアのパリ」とも形容されています。イルクーツクには685もの歴史的記念物が現存しており、うち108は国定記念物に指定されています。
とくに興味深いものとして、アムールスカヤ通りに隣接するキーロフ公園の周囲は、イルクーツク市の最も古い地区であり、スパスカヤ教会、ボゴヤブレニエ寺院、アレクサンドル3世像、郷土史博物館(かつてのロシア地理協会シベリア支部)などの歴史的建造物があります。
その他、イルクーツクにおいて最も文化的、かつ歴史的に重要な意味を持つ「デカブリストの家博物館(「ヴォルコンスキーの家博物館」、「トゥルベツコイの家博物館」) があります。」

観光情報

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ズナメンスキー修道院

ウシャコフ川の岸辺にはイルクーツクで最も古い教会でスナメンスキー女子修道院があります。 1693年に建てられた木造の教会は老朽化が進んだため1762年に商人ビチェーヴィンの寄付により石造の修道院の建築が開始されました。
内部には、17世紀から19世紀にかけて描かれた銀飾りに縁取られた多くの貴重なイコンが飾られています。 その他にも、ピョートル大帝より進呈された聖書(1698年)が今日に至るまで保存されています。

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キーロフ広場

1908年から1年間この地で過ごした革命家キーロフを記念して名付けられた公園です。 イルクーツク州政府、教会、言語大学などの建物に囲まれ、広場の中心には美しい噴水がある市民憩いの場所です。
昔よりイルクーツクの中心であり、市内で最も古い地域でもあります。周辺ではスパスカヤ教会、ボゴヤブレーニエ寺院があります。 昔は近くにクレムリン(要塞)があったため「クレムリン広場」と呼ばれていました。冬にはクリスマスツリーで飾られ、様々な氷像に彩られます。

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デカブリストの家博物館
(ヴォルコンスキー家)

ヴォルコンスキーは、30年にわたるシベリア流刑生活のうち、17年をこの家で過ごしました。11年の改修期間の後、1985年に博物館として開館しました。博物館としてはロシア国内でも最も優れたものの一つです。博物館の中にはヴォルコンスキーの家族が所有していた品々が展示されています。

イルクーツク郷土博物館

1782年に開館されたロシアで最も古い博物館の一つです。1879年に焼失しましたが、1891年には現在の形で再建されました。 イルクーツクが建設される以前の旧石器時代から現在までのイルクーツク地方の「歴史に関する展示があります。
シベリアに居住するほぼすべての少数民族の食器、民族衣装、玩具などが展示されています。 また、特に貴重な資料として、17世紀のロシアのシベリア進出に関する書面の資料が保存されており、現在の展示品の数は30万を超えます。

スパスカヤ教会

市内中心部にある教会の中では最も古い教会であり、1710年に建設されたキーロフ広場の北側に立つ白壁と緑のドームが美しいロシア正教会です。 イルクーツクで建設された石造建築の中では2番目に古い建物であり、現存する石造建設の中では、東シベリアで最も古いものです。
鐘楼は1850年から1860年にかけて増築されました。19世紀はじめに、内部だけではなく、外部もフレスコ画で飾られました。 1812年のナポレオン戦争に参加したイルクーツクの義勇軍はこの教会にて祈祷を行い、前線に向かいました。現在は吐くつかんとなっており、隣接するボゴヤブレーニエ寺院と共にロシアの重要文化財に指定されています。

デカブリストの家博物館
(トゥルベツコイ家)

デカブリストであったトゥルベツコイ、自らのシベリア求刑時に居住していた建物として、1970年12月29日に博物館として開館しました。
博物館内の展示は1926年から1956年にかけてのデカブリストの東シベリア流刑に関連した資料が展示されています。シベリア流刑を命じられた80人のデカブリストのうち40人がイルクーツク州に流刑となりました。また、その他にはトゥルベツコイ家が使用していた品々、家具、そして妻であるトゥルベツコイ公爵夫人の刺繍なども展示されています。

バイカル湖(イルクーツク郊外、リストビヤンカ)

観光情報

「シベリアの真珠」、あるいは「シベリアの青い瞳」と形容されるバイカル湖は世界最大の深さと、世界最高の透明度を誇ります。 深さは1741m、透明度は41mあり、大きさは琵琶湖の47倍と、きわめて大きな湖です。バイカル湖が形成されたのは今から2,500万年前と考えられており、世界でも少ない古代湖です。また、湖は寿命は1万~1万5千年程度であり、堆積物により縮小していきますが、バイカル湖はいまだに毎年2cmほど成長を続けています。
バイカル湖の特異性の一つとして、そこに生息する動植物が挙げられます。バイカル湖に生息する2,635種の動植物のうち約70%がこの湖の固有種です。
特に有名なのが、バイカル湖のみに存在する淡水に生息するアザラシであるバイカルアザラシです。このアザラシももともとは海洋のものであり、エニセイ川、アンガラ川を遡り、やがて淡水に適応したと考えられています。このように、「奇跡の湖」とも言われるバイカル湖は、1996年に世界遺産に登録されました。その他にもゴロミャンカ(バイカル湖において最も多数を占める魚です)やオームリなどの魚類の固有種も良く知られており、特に鮭鱒に似たオームリは現地の人々の食卓にものぼるなじみの深い魚です。


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