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ウラジオストックはアムール湾とウスリー湾に挟まれたムラビヨフ・アムール半島の金角湾に沿って建設された町です。ウラジオストックがその存在をはじめて知られたのは1850年代のことでした。1859年にムラビヨフ・アムールスキー総督が軍艦「アムール号」でこの地を航海した際に水深もあり、風も強くなく、 またロシアにとってなによりも重要である冬でも凍らない海であるこの地を発見し、「金角湾」と名付けました。
1860年、軍艦「マンジューリ(満州)号」により海軍基地が建設されました。この時に、ウラジオストックと名付けられました。
1870年代には帝政ロシア領の太平洋岸における最重要地点となり、シベリア艦隊の司令部がニコラエフスク=ナ=アムーレからウラジオストックに 移されるまでになりました。
ウラジオストックの重要性が増すにしたがい、造船工場、その他の工業施設の建設が急ピッチで進み、海運学校も開設されました。
1879年にはサンクト・ペテルブルグとオデッサを結ぶ定期航路が敷かれ、1880年にウラジオストックを中心とした「特別軍政区」が制定され、 ウラジオストックに市制が敷かれました。
1888年には行政区の再編が行われ、沿海州が制定され、ウラジオストックは同州の州都となりました。
1897年にはハバロフスクと鉄道で結ばれ、1903年にはモスクワとウラジオストックを結ぶシベリア横断鉄道が全線開通しました。
19世紀の終わりには2つのロシア正教とカトリック教会が開かれ、男子・女子学校、病院なども設置されました。
その他にも機械、ビール、レンガ、製粉、製材工場が建設されましたが、最も重要なものは造船産業でした。港にはロシアだけでなく、中国や韓国の船舶も往来しました。
1883年には州内で初めて「ウラジオストック」新聞が発行され、1884年にはアムール州研究協会が発足し、 1890年には東方大学が設立されるなど、文化的成長も見られました。
1917年の革命時にウラジオストックにもソヴィエト政権が樹立されると、ウラジオストックをめぐる攻防は激しさを極めました。
1918年には日米英軍がウラジオストックを占領しました。
その後、チェコスロバキア軍が蜂起すると、コルチャック提督と臨時シベリア政府がウラジオストックを手中に収めました。
1920年にはパルチザンと日本軍との間に激しい戦闘が行われ、12月には極東共和国が支配権をにぎりましたが、1922年ソ連邦の構成共和国であったロシアに併合されました。
第2次世界大戦後は、ロシア太平洋艦隊基地が置かれていたこともあり、長い間外国人だけでなく、他都市のソ連国民も立ち入りが制限されていました。
1989年にソ連国民、続いて1992年に外国人にウラジオストックは開放され、現在では多くの外国人が居住しています。
太平洋艦隊総司令部の近くに、かつて第二次世界大戦において実戦配備されていたソ連海軍潜水艦C-56が博物館として展示されています。内部の魚雷発射室、潜望鏡、無線室などはかつてのままに保存されています。また、艦内には当時の歴史を物語る写真や資料が展示されています。
この要塞は1889年に建設されたものであり、現在は博物館として一般に公開されています。かつては太平洋艦隊の母港であるウラジオストック防衛のために金角湾を臨む丘の上に建設されたものです。博物館となった現在は内部にウラジオストック要塞の模型、実際に使用された軍服、砲弾、火気などが展示されており、屋外には要塞砲、野砲、対空砲などが展示されており、実際に手に触れることができます。また、毎日正午には要塞から号砲が放たれます。
シベリア鉄道の東端に位置するウラジオストック駅は、MOSCOWまで9,288kmの鉄道の旅の終着駅でもあり、始発駅でもあります。駅舎は1894年にロシア建築様式による石造の駅舎が建てられ、床には今も現存する日本製のタイルが張られました。1912年に駅舎の上部はモスクワのヤロスラブリ駅に似た様式に建てかえられました。駅舎内には「グドック」というロシア料理レストランがあり、ウラジオストックを訪れる観光客に大変人気があります。
ウラジオストック市内で最も高い地点である海抜214mの丘は「鷲の巣」と呼ばれており、展望台となっています。ここからは金角湾を見渡すことができ、軍艦、商船、漁船を見ることができます。また、展望台にはウラジオストックの姉妹都市であるアメリカのサン・ディエゴとの友好記念碑があります。
ニコライ門は1891年に、アジア歴訪の帰りにウラジオストックを訪問したニコライ皇太子(後のニコライ2世)を歓迎するため、市議会の決議に基づき建設されました。革命後の1927年にソヴィエト政府により取り壊されましたが、ソヴィエト連邦崩壊後の2003年には地元の有力者の寄付により再建されました。ニコライ門の建築様式はロシア・ビザンチンの流れを受け継いでいますが、その中にも軽やかさが見られるのが特徴と言うことが出来ます。
郷土博物館は1890年に創立された極東で最も歴史のある博物館のひとつです。展示物は沿海州に関する歴史、地理、自然、鉱物、考古学、さらには民俗学的な様々な資料が展示されています。収蔵品の数は427,000点にも及びます。現在博物館が入っている建物は1906年に建設され、1822年までは横浜正金銀行は浦塩支店として利用していました。
ロシアルーブル
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